安全な情報共有について

A社のある担当者が業務遂行のために必要な情報を、一緒に仕事を進めているパートナー企業のB社にメールで提供しました。
B社では受け取った情報をもとに修正をかけ後に資料を共有しようとしましたが、今度はサイズが大きくメールで送れなくなってしまいました。そこでYammer を通じて共有することの許可を問いました。
すると・・・A社の一部の関係者が、「Yammerで情報共有するなど何事だ」と怒り始めました。
「Yammer=クラウド=危ない」という先入観なのでしょうか?でも、なんとなく言いたいことはわかります。

A社が気にしていることは、「Yammer 上に自社の重要情報が保管されることによって危険にさらされる」ということなのですが、果たして本当にそうでしょうか?

ではメールならOKですか?SharePoint ならOKなのでしょうか? 「宅ファイル便」ならOKですか???それらはすべてクラウド上にあるデータベースです。

極端な話かもしれませんが、 B社がOffice 365やGoogle Appsなどのクラウドを利用している企業ユーザーであれば 受け取った情報は 常に既に クラウドに保存されています。

すなわち、A社が情報を送った時点で、外部の攻撃者からの脅威にさらされているので、そこでいまさらYammer云々でリスクの一部を指摘しても意味があるように思えません。

もっと言えば、脆弱なファイル管理システムなどを運用している会社と取引であれば、さらにリスクは高まります。

「クラウドを使うな」と主張することでリスクを下げようと考えるのであれば、これからの時代は「クラウドを利用している企業とは取引をしないこと」を徹底しないとA社が主張するリスクは回避できないと思います。

MSさんが「クラウド時代のセキュリティの境界線がファイアウォールではなくなった」と主張しているのは、そういうことではないでしょうか。

例えば、A社が自社で構築した、なんらかの「ファイル共有の仕組み」を用いて情報共有することが安全なのだと主張したとします。たしかに、そこに置いてある情報が、誰からもダウンロードされない、あるいは盗み取られない限りは安全です。

でも、情報共有の仕組みなわけなので、結局ダウンロードすれば受信者はすぐに他のクラウドにデータをGoogle Appsに移すわけです。これがセキュリティの境界線がファイアウォールでなくなったということの意味でしょう。

問題は「どの場所で情報共有するのか」という境界線について議論することではなく、RMSのように「情報がどの場所でどのように共有」されたとしても「関係者以外に情報が漏れない仕組み」を考えていくことが、安全な情報共有を行うために有効なのだと思います。

今回、特に新しい話をしているわけではないです。

しかし、おそらく今後5年間で「情報系」と呼ばれるような仕組みの多くはクラウドに転換されていく思われます。その時に、自社だけが「クラウドで情報共有しないでください」主張することに、どれほどの意味を持つのだろうか? とふと疑問に思った次第です。

3/19 ナレッジマネジメント学会の発言要約

先日 ナレッジマネジメント学会の大会があり、そこで一コマ登壇の機会をもらいましたのでEGMFの紹介含め、これまでどのような議論をしてきたのか?という個人発言を要約してみました。

0.EGMFの紹介
EGMFとはEmployee Generated Media Forumの略です。当時WEB2.0という言葉が流行したのですがCGMをもじったもの。SNSのような新しいテクノロジーを企業内で用いることによって、”Employee” ひとりひとりの活躍を後押ししたり、個々の可能性を最大化することはできないか?と大手企業の社員中心に探ってきた集まりです。2006年くらいから現在に至って 月1回をペースに続いています。

これまで、Lotus Notes に代表されるような エンドユーザーを中心に捉えたツール(EUC)から始まりMicrosoft SharePointだとかIBM Connectionsだとか、いろいろなコラボレーション製品が登場してきました。結果的に、これらを企業が採用することによって、これまでは一部の有識者だけがアクセスできたような情報がオンライン上で広く共有されるようになります。これは素晴らしい発展です。その後エンタープライズソーシャルと呼ばれるようになったツール群によって大きな可能性をみせました。

現在至り、ITによるコミュニケーションの「接続可能性」に目が向けられ、多くの「場」が生み出されてきたことは皆さんご存知の通りです。

過去も現在も、新しい働き方を生み出していたのは「テクノロジー」(印刷技術・電信技術・・・)なので、こうした道具がこれからも必要だということには反論の余地はないものです。ですから、よりよいテクノロジーの追求というのが1つの軸です。

1.「場」についての問題
ただ一方で、ITによってコラボレーションのすべてが解決したわけではないわけです。ITは あくまで動機付けを持つ主体に接続可能性という「場」を提供しているものであって、そもそも動機づけ持たない者に対しては意味をなさないわけです。

簡単に言えば、互いに話したがらない人たちの間に「話し合いの場」を持たせても会話はうまれないということです。

よくアーキテクトによって「この場所はxxx掲示板で、ここはディスカッションする場所で、その周りにはコミュニティが出来上がって・・」というような仕分けがされますが、実際には期待どおりには動くことはないわけですね。

ここにソーシャル コミュニケーションの難点があり、これは多くの人たちの関心のポイントとなってきました。

かつて、物理空間においてはコミュニケーションを制約する対象が壁や空間距離にありましたが、オンラインの場合ではそれ自体は制約にならない。むしろ主体の興味や関心といった心理的な距離がトポロジー(位相空間)を生み出しています。

もちろん技術的にどうにかしようってことを考えるのも大切ですが、アーキテクトはそうした相互の距離全体を考慮し設計しなければいけないということになりました。

たとえば、集団が望ましいとするコラボレーションをするための仕組みはどうなっているのかだとか、人々の相互扶助に関わる設計はどうなっているのか、コミュニケーションを生み出す風土などはどうなっているのか。つまり、こうしたスペックの「ハコをつくります」いう事以前に、大きな問題があるのでは?ということです。

2.「風土」の話。
すこし前のガートナーの調査によれば、コラボレーションを制約する要因は、ITが30% で企業カルチャーが70%だといいます。

例えば「どうしたらオンライン上の “話し合いの場” で、信頼できるネットワークを作ることができるか? 」「スロウィッキーが述べたような、群衆の叡知を発揮できる組織を作るためには? 」といった話も、企業カルチャーに依存する話になるでしょう。

例えば、これまで企業でいえば、優秀な企業人を揃えるために企業研修の多大なコストを払って自己推進的な主体を形成しようとしてきた。強大な権力によって脅し従わせるのではなく、主体化させることによって、上記のフォーマットを実現しようとするものです。

しかし、”意識”が大切だからといって危機感を煽ったり、ワークショップなどで話し合いの場で啓蒙啓発を促しても、その場は盛り上がりをみせますが、職場に戻ってしまえば頭の中からすっぽり消え去ってしまうこともまた現実。モチベーションを持続させるのはとても難しいわけです。

もちろん風土を醸成する取り組みは必要なことですが、どうしても「意識」を変えるという試みには長い年月が必要になります。そこでまた、ではどうするのか?という新たな問題が出てきます。

3.「メカニズムデザイン」の話。
研修を通じて、規範の内面化させるだとか、自己推進的な主体形成という「建前」には期待できない…。であれば、むしろ、それぞれの主体のインセンティブが最大に発揮されるときに(個人や社会が利己的に行動したときにも)結果的に正しい情報が開示されたり、集団としての効率性を実現するコラボレーションが生まれるようなインセンティブの「メカニズム」を考えていけばよいじゃないかという話が登場します。

メカニズムデザインというのは経済学で使われる用語です。ゲーム理論が、あるゲームのルール(利得行列)のもとで人々が合理的に行動するとどうなるかという結果を予想するものであれば、メカニズムデザインでは逆に、望ましい結果を実現するゲームのルールはどのようなものかを考えていくものです。

つまり、規範を内面化せずとも、人々の自由な行動を推奨することで、管理を可能にするという秩序維持の方法論になります。こうした考えをもとに、人の感情に働きかけるメカニズムを埋め込むことができるのではないか?というのが第三の道になります。

と、ここまでが前振りです。

会場で関心が高かったのは「第三の道」の話になりますが、当日は時間の関係上、多くの議論をすることができなかったので、近日またEGMFでの議論を経て更新をしたいと思います。

Give / Let’s upgrade our world !

Advent Calendar が回ってきました。 先日レドモンドにあるマイクロソフトの本社を訪問したのですが、その時に見かけた看板に記された「Give」「Let’s upgrade our world」と二つの言葉がとても印象に残ったので、今回はこれとOffice 365 をこじつけて、これからの働き方のヒントについて書こうとおもいます。

<キーワードはGive>

ぼくが数年前から参加しているコミュニティのひとつにEGMフォーラム(Employee Generated Media Forum)という場があります。このコミュニティの中で大切にしている価値観のひとつに “Give and Given” というものがあるのですが、これは「与えていこう」という価値観です。

一般的によく使われる “Give and Take” というのは、「何かを与えたら代わりに何かをもらう」という、ある種の交換条件の中で人間関係性が成り立つものですが、Give and Given ではとくに相手からは求めません。「相手に喜んでもらえば、そのうち相手から溢れた幸せが 自分のところに落ちてくるさ。」そんな気持ちを大切にしてコミュニティ運営をしています。
損得勘定でコミュニティを運営しても決して魅力的な人や情報は集まらないからです。

こうした考え方はビジネスにおいても同じであることが証明されています。「これだけのお金がもらえるからやる」「偉くなれるからやる」、そうした交換条件からは本当に社会に役立つアイデアは生まれてこない・・・。ダニエル・ピンクのモチベーションのがあまりに有名ですが、これからは損得勘定とは別のところから発生する「Give」という考え方がとても大切になってきます。この看板にはマイクロソフトがこうした価値観に対して真剣にコミットしイノベーティブな企業であろうとしている姿が表れているではないでしょうか。

「Let’s upgrade our world」

もうひとつこの看板には小さく「Let’s upgrade our world」 という言葉が記されています。昨日「ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書2015」というリストが発表されたのですが、このリストにある本の多くは働き方のupgradeの話に触れています。

最近マネジメントでよくいわれる言葉に「コントロールからエンパワーメントへ」ですとか「ヒエラルキーからホロクラシーへ」などさまざまなコンセプトが聞かれますが、基本的にはすべてEGMとかCGMに代表されるような個人へのエンパワーメントを可能にするテクノロジーの存在が前提になっています。つまり、世界の経営者はいまこれらの本に書かれるようなUpgradeを必要としている、<イコール> それを支えるテクノロジーが不可欠ということなのです。

Office 365は世界をUpgradeできる優れたコラボレーションツールであることに違いありません。しかし残念ながら優れたツールを使うことが優れたマネジメントを生みだすということは必ずしも<イコール>となりません。

たとえば企業において「コミュニケーションの活性化」という課題に対し、すぐに新しいツールの話を持ち出され、こんな機能やあんな機能を取り上げることがありますが、前提の考察がスキップされていることが多々あります。

ツールの前に、会社の相互扶助に関わる仕組みはどうなっているのか、Upgradeすべき企業文化はどういったものなのか。そうした問題をサポートするのかしないのか? つまりこうしたスペックのハコをつくりますという事の以前に前提があるだろうという事です。それを問題をスルーしては、いくら素晴らしいツールの話を持ち出しても働き方のUpgradeは決して上手くいかないでしょう。

Office 365 は 社員のどのようなコミュニケーションをサポートし、どのような触媒になろうとするのか? そうした問い直しがいま必要になってきていると思います。
年末年始もし時間にゆとりができたらこのリストにある本を手に取ってみてはいかがでしょう。きっと働き方のUpgradeに役に立つヒントが多く隠されているはずです。

Office 365 でコラボレーションできない理由

これまでSharePointやExchangeなどのバージョンアップを行なうには、その都度そこにかかる費用から、「何故バージョンアップするのか」「それを利用する価値はどこにあるのか」という熟議の機会が設けられ会社としての意思決定がありました。

しかし、実質的にバージョンのないOffice 365のようなクラウドサービスでは、面倒な議論をせずとも次々と新しい機能が使えるようになった為、それがかえって社内で熟議の機会を失わせ、戦略策定とコミットメントが曖昧なままに放置されてしまうということがあります。

熱心な担当者が、いくら必要性を説いても、上からは「費用がかからないのであれば、適当に試してみてよ」と既読スルー状態で話し合いの対象に上らないという話をよくききます。

WordやExcelの話であれば、個人の裁量に任せられるものですが、会社全体で機能させなければならないコラボレーションの機能は、全員で使わないと効果が出ないのでルールや作法も含めたコミットメントが不可欠です。

導入当初に定義されなかった機能が、いつになっても使われない理由はこうした背景がひとつにあげられます。しかし、ここで見落とされているのは、クラウドサービスでは確かにバージョンアップに費用はかかりませんが、それを利用しないことによる機会費用の大きさではないでしょうか。

クラウドを用いた ワークスタイル改革 を行うことにより、50%近い成長を遂げた会社がありますが、これが半分の成長で止まってしまうということは、金額的には数千億を支払ったことになるわけです。これは余りにもったいない話です。

面倒な議論をさけコストを極大化するのも一つの選択になりますが、メリットと見えないコストも併記して選択を問うべきだと思います。クラウド時代では、「何を改革しなくてはならないのか」というマインドセット設定や、問題そのものを見極め整理する能力含めて、「改革」をしていかなければならない。そうした新しいチャレンジが必要になると思います。

コミュニケーションデザインの不可能性

かつて、歴史の中心的な視座にあったのが <計画>という概念でした。建築で言えば <計画>は都市においてのゾーニングやコントロールのシステムであり、ここの場所は公園で、ここは住宅地でここは集会場で、周りにはコミュニティが出来上がってというような仕分けがなされました。しかし、実際に計画は上手くいくものではありませんでした。なぜなら少数の建築家が人々の行動パターンを全て把握し、事前に理性的に統御することなど到底出来なかったからです。結果、子供たちの憩いの場であるはずの公園はイジメの現場となりかわり、ニュータウンをつくるとそこは少年犯罪の温床になるなど、経済学者で言えば「意図せざる結果」と呼ぶようなことが数々起こりました。

建築家 クリストファー・アレグザンダーは「都市はツリーではない」という論文の中で、都市は自然成長的に発展するものであり、設計された都市が必然的に失敗することを数学的に証明してみせました。それは建築家がどのように多様性を目指して設計しても、結局は<計画>にしかならないということであり、設計者の認識能力、予測不可能性の限界を鋭く指摘したものでした。つまり、一部のアーキテクトが都市のもつダイナミズムをツリー構造に回収しようという試みは、例外なく人々の多様性や自由を抑圧することになり、予想を超える問題を後に残すというものです。

コミュニケーションのプラットフォームを考える際においても、アーキテクトは広場を作って多様な交流をもたせたがりますが、実際はそう簡単にはいきません。こうした不可能性の問題があるわけです。

※図1

ITの世界で、ウォータフォールと呼ばれる最初に完成した状態を予想して作られる設計手法がありますが、これは最初に最終形をきっちり設計し、それに向かって一目散に開発を進めるやり方です。それは、開発が終了したときが即ち「計画」の終了を意味します。

しかしそのような計画において「終わりよければ全てよし」とはいうものの、「どこが始まり」で、「どこで終わる」のでしょうか、コミュニケーションは常に既に流れ続けています。また「よし」とは誰にとっての「よし」なのか、その意味でエンタープライズソーシャルは、設計者の恣意的な仕分けを前提になされる「計画」との相性がよくありません。いわば永遠のベータ版といえるコミュニケーションプラットフォームに対して、求められるアーキテクトの役割はこれまでと異なると言えます。

では、「その上で何をすべきか」ということだと思います。そこで、素朴に全体性の把握が出来ていると信じるアーキテクトと、そうでないことを自覚した上で設計という行為に携われるアーキテクトで、どちらでセンスがあると言えるのでしょうか。それは組織のもつダイナミズムを決定的に変えていくことになると思います。

「コミュニケーションの活性化」というオーダーに対し、すぐに新しいツールの話を持ち出し、こんな機能やあんな機能を取り上げる人々がいます。それ自体は悪い行為であるとは思いません。しかし前提の補完性の考察がスキップされています。相互扶助に関わる仕組みはどうなっているのか、人事制度はどうなっているのか、企業文化はどういったものなのか。そうした問題を永続的にサポートするのかしないのか? つまりこうしたスペックのハコをつくりますという事の以前に前提があるだろうという事です。社員のどのようなコミュニケーションをサポートし、どのような触媒になろうとするのか?そうしたことをスキップしてしまおうとする態度があるならば、それこそ問題として捉えなおすべきではないでしょうか。

※1ツリーとセミラティス (左が自然成長的に出来上がったダイナミックな社会【セミラティス】右が人工的に作られたよそよそしい社会【ツリー】)

社内コミュニケーションの デザインについて

エンタープライズソーシャルに期待する効果として、コミュニケーションの活性化というものがあります。そこには、形式的で一方通行な「報告」や「質問に対する答え」というやりとりではなく、多数の人からなるダイナミックな情報交換から生み出される「新しい知恵」というものが期待されるわけです。

しかし、いくら仕掛け側がそういうダイナミックなやり取りを期待しても、そもそも普段の人間関係やコミュニケーションの状態がそういうコミュニケーションを推奨していない状況であれば、いくらオンラインに集会場をつくっても上手くいく筈がありません。たとえば、上司を押しのけて<わたしとしての意見>を主張することが善とされない社風があったり、<確実な>発言しか(思い付きの発言は)認められないという状況があれば、エンタープライズソーシャルが新しい意見に満ち溢れることはないわけです。

一般的に伝統的な組織であればあるほど、歴史に刻まれたコミュニケーション作法が多く存在し、固定化された人間関係性があります。そこに異質な価値観を持つものや、これまでの人間関係を崩すような影響を与えるようなコミュニケーションが発生するとなると、当然そこには「排除」の力が働きますので、<何故そのコミュニケーションが必要なのか?>という共通前提が組織内に共有化されることが大事となります。

H・コートニーという学者が “Strategy Under Uncertainty” という論文で、不確実性には4つのレベル <①確実な未来 ②選択的な未来 ③一定幅の未来 ④不確実な未来>があると述べているのですが、②のようにA/B/Cのような選択肢の中から合理的なものを選ぶためのコミュニケーションと、④のように不確実性の極めて高い状況で必要とされるコミュニケーションとは異なります。

ある企業では、社内SNSは意見の<発散の場>と定義しました。それに対して、これまでの会議や同等の機能を持った場は<収束の場>として区分され、①~④これらの全体の流れをビジネスプロセスに組み込むことによって社内SNSを無計画な集会場で終わらせることなく一定の価値を生み出しています。それを彼らは<コミュニケーション デザイン>と呼んでいるのですが、コートニーが “Strategy Under Uncertainty” というように、不確実性の高い状況下には、組織にふさわしいコミュニケーションが何か、我々にこのコミュニケーション テクノロジーをどう適用することができるのか、そういった新しい議論が必要なのではないでしょうか。

There is no alternative

エンタープライズソーシャルという戦略は、理論的には100%正しいと思います。英国元首相のサッチャーの言葉で「There is no alternative」、つまり「これ以外の方法はない」という言葉がありますが、正にその通りだと思います。ただ、これが本当に実現できるかどうかはわかりません。これは経営の強い決意をもって実行してもらわないといけない。ですから「ソーシャルが正しいかどうか」を議論するよりは、「本当に実現できるかどうか」を議論するほうが大事になります。

今年も各地で開催された大規模なカンファレンスでは、様々なスピーカーにより「なぜ今エンタープライズソーシャルなのか?」ということが語られていました。それを多くの参加者が評価しました。「あの人の言っている事は正しい」という意見です。様々なユーザーと技術者と会話をしましたが、彼らも同意見でした。「エンタープライズソーシャルというビジョンは正しいので、きちんと実行できること。それに尽きる」ということです。

ソーシャルであれワークスタイルの改革であれ、これらは大きな変化ですから、これまで存在した様々な習慣や常識を変えていかなければなりません。現在、日本企業が大きなイノベーションを生み出せていない状況が続いていますが、短期に問題のギャップを埋める方法はあったとしても、長期には再建が必要になってきます。

ビジネスを成長させるためには、様々な「事」を変えて進めなければなりません。これらは否定しようがないことです。まさしく、There is no alternativeです。繰り返しますが問題はこれを実現できるかどうかです。まだ道のりは、相当遠い状況だと思います。

最近、私はエンタープライズソーシャルの「起承転結」という言葉をよく使っていますが、「起」はグッドスタートで、「承」はディベロップメントです。現在出されている戦略は満点からはほど遠いですが、今までの戦略より、はるかに内容があると思っています。これから問題になるのは「転」、つまりターンです。この評価は、経営者を含めてどれだけ本気で加速させることができるかによって決まります。「転」がうまくいくかに応じて、「結」が決まってきます。

ソーシャルが成功するかどうかは、社員に目的がどれだけ支持されるかに左右されますが、最も重要なのは経営者の意志です。しかし問題は導入の後です。社長といえ改革によって360度敵に回すことはできませんので、やっぱりどこかに集中してやらないといけない。インフルエンサーという人がいますが、そういう人々と協力し、どのように、どういう順位で改革を実行していくのかということが必要になってきます。

先日、面白いと思ったのは、ある企業のドンが「私はこういう意見をもっていて、前田さんとは違う。でも、ソーシャルは応援しますから」と言ったことです。ある分野で意見がくい違う人でも、ほかの分野では手を組むことができるわけです。誰と手を組むか。その駆け引きが重要です。新しいことを始めようとすると、必ず抵抗勢力が現れます。その設定が戦略的アジェンダです。「これから何をしていけばよいのか」会社の中にはそういう戦略を立てるのに優れている人が必ずいますので、そういう人と連携してうまく回していってほしいと思います。また、会議で決まったことは役員会議で決定されますから、そこで決定されたことに関しては決定的な影響力あります。そうした道筋を立てていくことも大事です。

基本的に、新しいことを始めるには、何にしても「壁」と呼ばれるものがありますので、その中から何をやっていくかです。それを突き崩す装置として、まずはスモールスタートとか部分適用とかがありますが、それはうまくやってほしい。そこで実績を上げて大きな壁を壊していくのがひとつのやり方です。数え方によりますが、障壁の数は5〜10程度です。だから、年間2つずつそれを壊すという目標を決めてやっていけばいい。2つであれば、360度敵に回すことはないので現実的です。3〜5年の長期プロジェクトを築いて、毎年2つくらいやっていけば、ほとんどの問題は片付くことになります。

改革をボーリングで例えれば、センターピンはやはり経営者です。改革は経営者の意志に尽きます。新しいビジネスを立ち上げるときにでも言えますが、なにかを始める際には不確実な要素はたくさんあっても100%確実で始められるものはそうそうありません。つまりは、多くの社員が半信半疑な訳です。 しかし、そういうビジネスを始められるのは経営者が強い思い入れを持っているからです。「こんなビジネス果たしてうまくいくか」と思った人もたくさんいるようなものでも、「xxさんがそこまで言うならやろう」ということになるわけです。だから、本当に改革に必要なのは経営者の思い入れです。

センターピンが倒れると次はどのピンが倒れるかという「わくわく感 」が広がっていきます。 アジェンダにはそういう要素が大事です。「難しいことはわからないけど、面白そうだな 」「これをやれば、会社は良くなりそうだな 」という「 Fun」な要素を沢山いれていくが大事です。「Fun」であれば、自然にそれか広がっていきます。コミュニティーマネージャーと呼ばれる人は、これを是非大切にしてほしいと思います。

多くの企業に必要なのは戦略的なアジェンダの設定です。そして「事」を変えるための前向きの施策イシューでの議論を期待しています。