先日のパネルディスカッションでの自分の発言

・ソーシャルネットワークの利用が世界のメールの利用を上回り3年が経過した。メールがこれまで情報を瞬時に送ることのできる画期的なツールであったとすると、 ソーシャルメディアに求められるのは、関係性の構築であったり、知識のネットワーク化であったり・・・と様々なグラデーション。これまでの「情報伝達の効率化」ということとは別の価値が求められている。

・iPhoneの登場以降くらいから、特に「イノベーション」という言葉が世界中でインフレ気味に使われはじめ、企業存続には、「多様性が必要」「インフォーマルなコミュニケーションも重要」といったように古くからの議論が再び強調されるようになった。予測が不可能な社会に対応していくためには色々なアンテナを張っていることが求められる。

・MITメディアラボの伊藤穣一氏は、「何かを枠組みに収めるのではなく、収まりきらないもの同士をコネクトするのが仕事」と自らの役割をこのように表現している。日本で言えば高度成長期という登り坂を上りきった現在、これからの価値創造のためには「仕事の進め方」や「知識の活用」の方法を変化が求められるという示唆。

・労働者は、決してコマンドを実行し続けるマシンではない、YammerのAdam Pisoniが述べるZARAのようなエンパワーメントと組織のネットワーク化の事例は好例。これまでルーティンだった領域にたいしても、個性と知識の活用法を取り入れ、やる気と創造性と高めていくことでよい個人・会社・顧客のハピネスが生まれてくる。

・それそろ「Why Social」という段階から「How Social」の実践を考えていくべき。

・何かに対して「任せっきりで後から批判する」というところから「みんなで考えること」へのシフトが大切。 それを実現するための手法が、ブレインストーミング・ワークショップ・コミュニティといった対話。そうした経験のなかで色々な発見がおこってくる。

・多様化した時代で、そうした新しい発想が求められるようになると、権威になんでも従う人材よりも、「それはちょっと違うんじゃないの?」って言える人材の方が重要になってくる。

・混沌とした時代に強いリーダーを求めてしまうことは珍しい事ではないけれど、ジョブズのような無謀なトップダウンがなんど会社を潰しかけただろうか。いい面ばかりに目を向けてしまうことを「生存バイアス」と呼び、歴史的にみればそのような独裁にはメリットより圧倒的にデメリットの方が高い。ひとりのリーダーが何とかしてくれるという幻想は捨て自らリーダーに。

・組織に強いリーダーは必要ない。厳密に言えば強いリーダーはいてもよいが任せっきりでは上手くいかない。むしろ良いリーダーが自然に発生するようなフォロワーを育てていくことが大切。

・従来型の上からの教育(Education)ではなく、自らの興味によって喚起される学び(Learning)が必要。

・メディアの存在意義は正しい情報を伝えるという事以外にも、多様な情報から得られる知的興奮からなる思考の場所であるということ。そうした場所作っていく。

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労働装備率と多様性

先日、あるイベントで「企業に多様性は必要か?」という話のなかで、坪田知己さんとの対話でこのような話が出てきました。

企業には「労働装備率」という「有形固定資産額」を「従業員数」で割って定義されるモノサシがあります。たとえば製造業の場合、有形固定資産とは、工場の建物や機械設備などが大きな割合を占めていますが、この指標は、労働者一人あたり、どれほど機械化が進んでいるかを大まかに示すものになっています。つまり、このパーセンテージがおおきくなればなるほど、企業の中で仕事が機械中心的に行われており、極端にいえばそれらの機械を安定・安全に稼働させるために労働者は存在しているので、そこでは計画通りのオペレーションこそが重要で、勝手な判断は事故の元ということになります。

ちなみに、日本で最もこの「労働装備率」が高いのは、JR東海だそうで社員1人当たり1億6000万程の設備を装備しており、楽天などは100万~200万だそうです。この数字が高い企業は、設備を維持するために労働者数が相対的に高いので、いまいわれる「多様性」ですとか「自律分散」といった話はリスクにしかならないケースがあります。あくまで一つの例になりますが、様々な事業内容があるなか新しい戦略を立てる際には慎重に考えなくてはならないわけです。

エンタープライズソーシャル ローンチ前のヒント

常に優れた製品が利用されるという誤解

必ずしも優れた製品が利用されるわけでも、すばらしい機能がみんなのメリットに繋がるわけではありません。たとえば、かつて機能的に優れたベータがVHSに敗れたように、機能的に優れた製品であっても自分だけ他と異なる選択をすることは損をすることがあります。これはエンタープライズソーシャルでも同じことが言え、自分だけ他の行動をとって出る杭になるより、同じ行動をとったほうが得だというネットワーク外部性の問題です。

特にコミュニケーションツールのように「情報が確実に相手に伝わる」という接続性が優劣を決定する製品・サービスに関して言えば、一定の普及率の確保こそが極めて重要になります。例えれば、いまTCP/IPより多少優れた技術が登場しても皆が利用しない限り他に転じるインセンティブはないわけです。

全体最適化されないのは何故?

他の人々が今の行動を変更しなければ、自分だけ行動を変更しても自らの利得を増すことはできないというように、これ以上自らの行動を変更するインセンティブがない安定的な状態を経済学でナッシュ均衡と呼んでいます。(A)と(B)はともに安定したナッシュ均衡であり、皆がVHSを利用する限りは他に転じるインセンティブがなく、皆がDVDを利用する限りは他に転じるインセンティブがないという均衡です。このように部分最適(A)から始まるとそこから自分だけが降りることは望ましくないので全体最適化を実現できない状況が企業内でも起こるわけです。ゲーム理論で登場する「囚人のジレンマ」は、個人の最適化を図ろうとした選択が、結果として全体の最適選択とはならないというモデルですが、(B)の全体最適化への移行のためには(A)の安定状態を突破する必要があり、そのためには(B)への変化で得られる「期待値」の共有と、それに対し皆が協力する(決して裏切らない)という「信頼」の構築が不可欠になるわけです。

絶対に降りないというコミットメント

新しいサービスや商品が世に知れ渡れ、普及していくまでに最小限必要とされる市場普及率を <クリティカル・マス> と呼んでいます。その市場において多くの人が受け入れることができる利用価値が達成される普及の度合いであり、この普及率を超えるとその製品・サービスは急速に広まっていくとされています。クリティカル・マスを確保するためには、例えば「初期採用者(イノベーター、アーリーアダプター)を確実に獲得する」「初期段階では利益を度外視してでも戦略的な価格設定・宣伝を行う」というような様々なやり方がみられますが、重要なのは、このような先行投資により、絶対に主催者側がこのゲームから降りないという誰もが信じられるコミットメントを示すことにです。企業内においては、経営層の「何が何でも降りない」という断固たる姿勢が非常に重要になるわけです。

絶対多数の社員たちが、新しい変化を受け入れるためには、まずは全体最適化というナッシュ均衡が存在するという知識を共有する必要があります。つまり、期待値がXより上となること。次に、そこで協力していくことが合理的だという期待感が共有されることです。ただ、より本質的な問題はこのうちの後者であり、派手なローンチイベントや社内報で宣伝を打っても、社員にからみて「うちの会社には無理」というように期待感が共有されなければ変化は期待できない。逆に後者が成りたてば、他部門を出し抜いて自分たちの部門を成功させようとする者も自ずと出てきます。

最も困難なのは、これまでの不合理な暗黙のルールを清算して、これ以上悪い均衡にとどまっていても損するという状況を作りだしていくことだと思います。その際、全員から共感を得ようとする必要はないですが、逆にいくら素晴らしい変化であっても閾値を超えない限り普及は望めない。イノベータ―やアーリーアダプターが信用されない状態でいくら普及活動を行っても、組織はすぐ悪い均衡(A)に戻ってしまうので、この場合、期待効果が出現するポイントまで一気にリソースを投入していくことが成功の鍵になります。

※下線部に対して成功している企業は導入準備段階で戦略的な期待値コントロールをしている。