3/19 ナレッジマネジメント学会の発言要約

先日 ナレッジマネジメント学会の大会があり、そこで一コマ登壇の機会をもらいましたのでEGMFの紹介含め、これまでどのような議論をしてきたのか?という個人発言を要約してみました。

0.EGMFの紹介
EGMFとはEmployee Generated Media Forumの略です。当時WEB2.0という言葉が流行したのですがCGMをもじったもの。SNSのような新しいテクノロジーを企業内で用いることによって、”Employee” ひとりひとりの活躍を後押ししたり、個々の可能性を最大化することはできないか?と大手企業の社員中心に探ってきた集まりです。2006年くらいから現在に至って 月1回をペースに続いています。

これまで、Lotus Notes に代表されるような エンドユーザーを中心に捉えたツール(EUC)から始まりMicrosoft SharePointだとかIBM Connectionsだとか、いろいろなコラボレーション製品が登場してきました。結果的に、これらを企業が採用することによって、これまでは一部の有識者だけがアクセスできたような情報がオンライン上で広く共有されるようになります。これは素晴らしい発展です。その後エンタープライズソーシャルと呼ばれるようになったツール群によって大きな可能性をみせました。

現在至り、ITによるコミュニケーションの「接続可能性」に目が向けられ、多くの「場」が生み出されてきたことは皆さんご存知の通りです。

過去も現在も、新しい働き方を生み出していたのは「テクノロジー」(印刷技術・電信技術・・・)なので、こうした道具がこれからも必要だということには反論の余地はないものです。ですから、よりよいテクノロジーの追求というのが1つの軸です。

1.「場」についての問題
ただ一方で、ITによってコラボレーションのすべてが解決したわけではないわけです。ITは あくまで動機付けを持つ主体に接続可能性という「場」を提供しているものであって、そもそも動機づけ持たない者に対しては意味をなさないわけです。

簡単に言えば、互いに話したがらない人たちの間に「話し合いの場」を持たせても会話はうまれないということです。

よくアーキテクトによって「この場所はxxx掲示板で、ここはディスカッションする場所で、その周りにはコミュニティが出来上がって・・」というような仕分けがされますが、実際には期待どおりには動くことはないわけですね。

ここにソーシャル コミュニケーションの難点があり、これは多くの人たちの関心のポイントとなってきました。

かつて、物理空間においてはコミュニケーションを制約する対象が壁や空間距離にありましたが、オンラインの場合ではそれ自体は制約にならない。むしろ主体の興味や関心といった心理的な距離がトポロジー(位相空間)を生み出しています。

もちろん技術的にどうにかしようってことを考えるのも大切ですが、アーキテクトはそうした相互の距離全体を考慮し設計しなければいけないということになりました。

たとえば、集団が望ましいとするコラボレーションをするための仕組みはどうなっているのかだとか、人々の相互扶助に関わる設計はどうなっているのか、コミュニケーションを生み出す風土などはどうなっているのか。つまり、こうしたスペックの「ハコをつくります」いう事以前に、大きな問題があるのでは?ということです。

2.「風土」の話。
すこし前のガートナーの調査によれば、コラボレーションを制約する要因は、ITが30% で企業カルチャーが70%だといいます。

例えば「どうしたらオンライン上の “話し合いの場” で、信頼できるネットワークを作ることができるか? 」「スロウィッキーが述べたような、群衆の叡知を発揮できる組織を作るためには? 」といった話も、企業カルチャーに依存する話になるでしょう。

例えば、これまで企業でいえば、優秀な企業人を揃えるために企業研修の多大なコストを払って自己推進的な主体を形成しようとしてきた。強大な権力によって脅し従わせるのではなく、主体化させることによって、上記のフォーマットを実現しようとするものです。

しかし、”意識”が大切だからといって危機感を煽ったり、ワークショップなどで話し合いの場で啓蒙啓発を促しても、その場は盛り上がりをみせますが、職場に戻ってしまえば頭の中からすっぽり消え去ってしまうこともまた現実。モチベーションを持続させるのはとても難しいわけです。

もちろん風土を醸成する取り組みは必要なことですが、どうしても「意識」を変えるという試みには長い年月が必要になります。そこでまた、ではどうするのか?という新たな問題が出てきます。

3.「メカニズムデザイン」の話。
研修を通じて、規範の内面化させるだとか、自己推進的な主体形成という「建前」には期待できない…。であれば、むしろ、それぞれの主体のインセンティブが最大に発揮されるときに(個人や社会が利己的に行動したときにも)結果的に正しい情報が開示されたり、集団としての効率性を実現するコラボレーションが生まれるようなインセンティブの「メカニズム」を考えていけばよいじゃないかという話が登場します。

メカニズムデザインというのは経済学で使われる用語です。ゲーム理論が、あるゲームのルール(利得行列)のもとで人々が合理的に行動するとどうなるかという結果を予想するものであれば、メカニズムデザインでは逆に、望ましい結果を実現するゲームのルールはどのようなものかを考えていくものです。

つまり、規範を内面化せずとも、人々の自由な行動を推奨することで、管理を可能にするという秩序維持の方法論になります。こうした考えをもとに、人の感情に働きかけるメカニズムを埋め込むことができるのではないか?というのが第三の道になります。

と、ここまでが前振りです。

会場で関心が高かったのは「第三の道」の話になりますが、当日は時間の関係上、多くの議論をすることができなかったので、近日またEGMFでの議論を経て更新をしたいと思います。

Give / Let’s upgrade our world !

Advent Calendar が回ってきました。 先日レドモンドにあるマイクロソフトの本社を訪問したのですが、その時に見かけた看板に記された「Give」「Let’s upgrade our world」と二つの言葉がとても印象に残ったので、今回はこれとOffice 365 をこじつけて、これからの働き方のヒントについて書こうとおもいます。

<キーワードはGive>

ぼくが数年前から参加しているコミュニティのひとつにEGMフォーラム(Employee Generated Media Forum)という場があります。このコミュニティの中で大切にしている価値観のひとつに “Give and Given” というものがあるのですが、これは「与えていこう」という価値観です。

一般的によく使われる “Give and Take” というのは、「何かを与えたら代わりに何かをもらう」という、ある種の交換条件の中で人間関係性が成り立つものですが、Give and Given ではとくに相手からは求めません。「相手に喜んでもらえば、そのうち相手から溢れた幸せが 自分のところに落ちてくるさ。」そんな気持ちを大切にしてコミュニティ運営をしています。
損得勘定でコミュニティを運営しても決して魅力的な人や情報は集まらないからです。

こうした考え方はビジネスにおいても同じであることが証明されています。「これだけのお金がもらえるからやる」「偉くなれるからやる」、そうした交換条件からは本当に社会に役立つアイデアは生まれてこない・・・。ダニエル・ピンクのモチベーションのがあまりに有名ですが、これからは損得勘定とは別のところから発生する「Give」という考え方がとても大切になってきます。この看板にはマイクロソフトがこうした価値観に対して真剣にコミットしイノベーティブな企業であろうとしている姿が表れているではないでしょうか。

「Let’s upgrade our world」

もうひとつこの看板には小さく「Let’s upgrade our world」 という言葉が記されています。昨日「ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書2015」というリストが発表されたのですが、このリストにある本の多くは働き方のupgradeの話に触れています。

最近マネジメントでよくいわれる言葉に「コントロールからエンパワーメントへ」ですとか「ヒエラルキーからホロクラシーへ」などさまざまなコンセプトが聞かれますが、基本的にはすべてEGMとかCGMに代表されるような個人へのエンパワーメントを可能にするテクノロジーの存在が前提になっています。つまり、世界の経営者はいまこれらの本に書かれるようなUpgradeを必要としている、<イコール> それを支えるテクノロジーが不可欠ということなのです。

Office 365は世界をUpgradeできる優れたコラボレーションツールであることに違いありません。しかし残念ながら優れたツールを使うことが優れたマネジメントを生みだすということは必ずしも<イコール>となりません。

たとえば企業において「コミュニケーションの活性化」という課題に対し、すぐに新しいツールの話を持ち出され、こんな機能やあんな機能を取り上げることがありますが、前提の考察がスキップされていることが多々あります。

ツールの前に、会社の相互扶助に関わる仕組みはどうなっているのか、Upgradeすべき企業文化はどういったものなのか。そうした問題をサポートするのかしないのか? つまりこうしたスペックのハコをつくりますという事の以前に前提があるだろうという事です。それを問題をスルーしては、いくら素晴らしいツールの話を持ち出しても働き方のUpgradeは決して上手くいかないでしょう。

Office 365 は 社員のどのようなコミュニケーションをサポートし、どのような触媒になろうとするのか? そうした問い直しがいま必要になってきていると思います。
年末年始もし時間にゆとりができたらこのリストにある本を手に取ってみてはいかがでしょう。きっと働き方のUpgradeに役に立つヒントが多く隠されているはずです。

コミュニケーションデザインの不可能性

かつて、歴史の中心的な視座にあったのが <計画>という概念でした。建築で言えば <計画>は都市においてのゾーニングやコントロールのシステムであり、ここの場所は公園で、ここは住宅地でここは集会場で、周りにはコミュニティが出来上がってというような仕分けがなされました。しかし、実際に計画は上手くいくものではありませんでした。なぜなら少数の建築家が人々の行動パターンを全て把握し、事前に理性的に統御することなど到底出来なかったからです。結果、子供たちの憩いの場であるはずの公園はイジメの現場となりかわり、ニュータウンをつくるとそこは少年犯罪の温床になるなど、経済学者で言えば「意図せざる結果」と呼ぶようなことが数々起こりました。

建築家 クリストファー・アレグザンダーは「都市はツリーではない」という論文の中で、都市は自然成長的に発展するものであり、設計された都市が必然的に失敗することを数学的に証明してみせました。それは建築家がどのように多様性を目指して設計しても、結局は<計画>にしかならないということであり、設計者の認識能力、予測不可能性の限界を鋭く指摘したものでした。つまり、一部のアーキテクトが都市のもつダイナミズムをツリー構造に回収しようという試みは、例外なく人々の多様性や自由を抑圧することになり、予想を超える問題を後に残すというものです。

コミュニケーションのプラットフォームを考える際においても、アーキテクトは広場を作って多様な交流をもたせたがりますが、実際はそう簡単にはいきません。こうした不可能性の問題があるわけです。

※図1

ITの世界で、ウォータフォールと呼ばれる最初に完成した状態を予想して作られる設計手法がありますが、これは最初に最終形をきっちり設計し、それに向かって一目散に開発を進めるやり方です。それは、開発が終了したときが即ち「計画」の終了を意味します。

しかしそのような計画において「終わりよければ全てよし」とはいうものの、「どこが始まり」で、「どこで終わる」のでしょうか、コミュニケーションは常に既に流れ続けています。また「よし」とは誰にとっての「よし」なのか、その意味でエンタープライズソーシャルは、設計者の恣意的な仕分けを前提になされる「計画」との相性がよくありません。いわば永遠のベータ版といえるコミュニケーションプラットフォームに対して、求められるアーキテクトの役割はこれまでと異なると言えます。

では、「その上で何をすべきか」ということだと思います。そこで、素朴に全体性の把握が出来ていると信じるアーキテクトと、そうでないことを自覚した上で設計という行為に携われるアーキテクトで、どちらでセンスがあると言えるのでしょうか。それは組織のもつダイナミズムを決定的に変えていくことになると思います。

「コミュニケーションの活性化」というオーダーに対し、すぐに新しいツールの話を持ち出し、こんな機能やあんな機能を取り上げる人々がいます。それ自体は悪い行為であるとは思いません。しかし前提の補完性の考察がスキップされています。相互扶助に関わる仕組みはどうなっているのか、人事制度はどうなっているのか、企業文化はどういったものなのか。そうした問題を永続的にサポートするのかしないのか? つまりこうしたスペックのハコをつくりますという事の以前に前提があるだろうという事です。社員のどのようなコミュニケーションをサポートし、どのような触媒になろうとするのか?そうしたことをスキップしてしまおうとする態度があるならば、それこそ問題として捉えなおすべきではないでしょうか。

※1ツリーとセミラティス (左が自然成長的に出来上がったダイナミックな社会【セミラティス】右が人工的に作られたよそよそしい社会【ツリー】)

社内コミュニケーションの デザインについて

エンタープライズソーシャルに期待する効果として、コミュニケーションの活性化というものがあります。そこには、形式的で一方通行な「報告」や「質問に対する答え」というやりとりではなく、多数の人からなるダイナミックな情報交換から生み出される「新しい知恵」というものが期待されるわけです。

しかし、いくら仕掛け側がそういうダイナミックなやり取りを期待しても、そもそも普段の人間関係やコミュニケーションの状態がそういうコミュニケーションを推奨していない状況であれば、いくらオンラインに集会場をつくっても上手くいく筈がありません。たとえば、上司を押しのけて<わたしとしての意見>を主張することが善とされない社風があったり、<確実な>発言しか(思い付きの発言は)認められないという状況があれば、エンタープライズソーシャルが新しい意見に満ち溢れることはないわけです。

一般的に伝統的な組織であればあるほど、歴史に刻まれたコミュニケーション作法が多く存在し、固定化された人間関係性があります。そこに異質な価値観を持つものや、これまでの人間関係を崩すような影響を与えるようなコミュニケーションが発生するとなると、当然そこには「排除」の力が働きますので、<何故そのコミュニケーションが必要なのか?>という共通前提が組織内に共有化されることが大事となります。

H・コートニーという学者が “Strategy Under Uncertainty” という論文で、不確実性には4つのレベル <①確実な未来 ②選択的な未来 ③一定幅の未来 ④不確実な未来>があると述べているのですが、②のようにA/B/Cのような選択肢の中から合理的なものを選ぶためのコミュニケーションと、④のように不確実性の極めて高い状況で必要とされるコミュニケーションとは異なります。

ある企業では、社内SNSは意見の<発散の場>と定義しました。それに対して、これまでの会議や同等の機能を持った場は<収束の場>として区分され、①~④これらの全体の流れをビジネスプロセスに組み込むことによって社内SNSを無計画な集会場で終わらせることなく一定の価値を生み出しています。それを彼らは<コミュニケーション デザイン>と呼んでいるのですが、コートニーが “Strategy Under Uncertainty” というように、不確実性の高い状況下には、組織にふさわしいコミュニケーションが何か、我々にこのコミュニケーション テクノロジーをどう適用することができるのか、そういった新しい議論が必要なのではないでしょうか。

「多孔現実」をハックする

かつては、同じ物理空間を共有しているという事実性が、人と人との親密度に大きな景況を与えていました。しかし、いまはいつも近くにいるからといって特別に親しいとは限らない。例えば、女子会最中にFacebookに写真を投稿する光景にみられる <隣の知人より遠くの他人>  という現実。どこまでも遠くにいる人と、自分としてのコミュニケーションが出来るわけです。

かつての馬車から自動車へという移動手段の発達が、特定地域の人との関係性にコミットメントしなくてはならないという必然性をなくしたように、テクノロジーは選択の自由度を格段に高めます。その結果、いまは物理的に近くに存在していても、そこで関係性や共同性が生成されているわけでも、必然性もないという親密性の変容があるわけです。

社会学者の鈴木謙介氏が、いまは至る所にいても、複数の意味空間へ繋がる <孔> が空いていると「多孔空間」という言葉で説明しているのですが、ウェブにより多孔化すると、意味空間と物理空間が次第にずれ始めていく。<孔> から次から次へと外部と情報のやり取り(例えば授業中のTwitter)が発生し、意味空間を保つのが困難になり、多孔化の果てには、親密性の変容、公共性の困難が立ち上がり、そして物理空間の中の存在がバラバラになっていくと指摘しています。

物理空間の存在がバラバラになっていくと、存在をまとめようとする力が働くことがあります。スマホいじるの禁止、オンライン禁止、のような外からの情報流入が制限され、物理空間では威厳のある人も、別の空間に移るとそれを保つことができなくなるわけです。しかし、このような「多孔現実」をハックすることで、より新しい面白いコラボレーション空間を作ることができるのではないでしょうか。

ビジネスの場で考えれば、物理的なオフィス空間と論理的なウェブ空間の意味を別々に考えるのではなくシームレスに繋がる公共空間をデザインし、<物理空間を共有しているという事実性> 以上の意味性を流入させることができれば、人との関わり方も、働き方も今とは全く別の形に変わってくるわけです。

たとえば、物理的な距離を縮めることはできないとしても、「認知的な距離」をコントロールすることで近接性や親密性を高めていくような設計はできるはずです。「遠く離れた国があるとしても、飛行機や列車を使ってそこに簡単にいけるということがわかればその場所は心理的に近く感じる。」「今までよく知らない人だったが、同じ中学校を出ていたと分かった途端その人が近く感じられる」「アフリカの奥地で偶然であった人が日本人だったというだけで大きな感動を味わってしまう」そういう認知体験を多く作り出していくことが、コミュニケーションにとってポジティブな影響を与えるわけです。

オフィスの生産性という際、物理的なものにばかり注目してしまうのは余りにもったいない。そうしたテクノロジーを使ったこれまでにない意味性を持たせる空間デザインがますます重要になってくるのではないでしょうか。

先日のパネルディスカッションでの自分の発言

・ソーシャルネットワークの利用が世界のメールの利用を上回り3年が経過した。メールがこれまで情報を瞬時に送ることのできる画期的なツールであったとすると、 ソーシャルメディアに求められるのは、関係性の構築であったり、知識のネットワーク化であったり・・・と様々なグラデーション。これまでの「情報伝達の効率化」ということとは別の価値が求められている。

・iPhoneの登場以降くらいから、特に「イノベーション」という言葉が世界中でインフレ気味に使われはじめ、企業存続には、「多様性が必要」「インフォーマルなコミュニケーションも重要」といったように古くからの議論が再び強調されるようになった。予測が不可能な社会に対応していくためには色々なアンテナを張っていることが求められる。

・MITメディアラボの伊藤穣一氏は、「何かを枠組みに収めるのではなく、収まりきらないもの同士をコネクトするのが仕事」と自らの役割をこのように表現している。日本で言えば高度成長期という登り坂を上りきった現在、これからの価値創造のためには「仕事の進め方」や「知識の活用」の方法を変化が求められるという示唆。

・労働者は、決してコマンドを実行し続けるマシンではない、YammerのAdam Pisoniが述べるZARAのようなエンパワーメントと組織のネットワーク化の事例は好例。これまでルーティンだった領域にたいしても、個性と知識の活用法を取り入れ、やる気と創造性と高めていくことでよい個人・会社・顧客のハピネスが生まれてくる。

・それそろ「Why Social」という段階から「How Social」の実践を考えていくべき。

・何かに対して「任せっきりで後から批判する」というところから「みんなで考えること」へのシフトが大切。 それを実現するための手法が、ブレインストーミング・ワークショップ・コミュニティといった対話。そうした経験のなかで色々な発見がおこってくる。

・多様化した時代で、そうした新しい発想が求められるようになると、権威になんでも従う人材よりも、「それはちょっと違うんじゃないの?」って言える人材の方が重要になってくる。

・混沌とした時代に強いリーダーを求めてしまうことは珍しい事ではないけれど、ジョブズのような無謀なトップダウンがなんど会社を潰しかけただろうか。いい面ばかりに目を向けてしまうことを「生存バイアス」と呼び、歴史的にみればそのような独裁にはメリットより圧倒的にデメリットの方が高い。ひとりのリーダーが何とかしてくれるという幻想は捨て自らリーダーに。

・組織に強いリーダーは必要ない。厳密に言えば強いリーダーはいてもよいが任せっきりでは上手くいかない。むしろ良いリーダーが自然に発生するようなフォロワーを育てていくことが大切。

・従来型の上からの教育(Education)ではなく、自らの興味によって喚起される学び(Learning)が必要。

・メディアの存在意義は正しい情報を伝えるという事以外にも、多様な情報から得られる知的興奮からなる思考の場所であるということ。そうした場所作っていく。

エンタープライズソーシャル ローンチ前のヒント

常に優れた製品が利用されるという誤解

必ずしも優れた製品が利用されるわけでも、すばらしい機能がみんなのメリットに繋がるわけではありません。たとえば、かつて機能的に優れたベータがVHSに敗れたように、機能的に優れた製品であっても自分だけ他と異なる選択をすることは損をすることがあります。これはエンタープライズソーシャルでも同じことが言え、自分だけ他の行動をとって出る杭になるより、同じ行動をとったほうが得だというネットワーク外部性の問題です。

特にコミュニケーションツールのように「情報が確実に相手に伝わる」という接続性が優劣を決定する製品・サービスに関して言えば、一定の普及率の確保こそが極めて重要になります。例えれば、いまTCP/IPより多少優れた技術が登場しても皆が利用しない限り他に転じるインセンティブはないわけです。

全体最適化されないのは何故?

他の人々が今の行動を変更しなければ、自分だけ行動を変更しても自らの利得を増すことはできないというように、これ以上自らの行動を変更するインセンティブがない安定的な状態を経済学でナッシュ均衡と呼んでいます。(A)と(B)はともに安定したナッシュ均衡であり、皆がVHSを利用する限りは他に転じるインセンティブがなく、皆がDVDを利用する限りは他に転じるインセンティブがないという均衡です。このように部分最適(A)から始まるとそこから自分だけが降りることは望ましくないので全体最適化を実現できない状況が企業内でも起こるわけです。ゲーム理論で登場する「囚人のジレンマ」は、個人の最適化を図ろうとした選択が、結果として全体の最適選択とはならないというモデルですが、(B)の全体最適化への移行のためには(A)の安定状態を突破する必要があり、そのためには(B)への変化で得られる「期待値」の共有と、それに対し皆が協力する(決して裏切らない)という「信頼」の構築が不可欠になるわけです。

絶対に降りないというコミットメント

新しいサービスや商品が世に知れ渡れ、普及していくまでに最小限必要とされる市場普及率を <クリティカル・マス> と呼んでいます。その市場において多くの人が受け入れることができる利用価値が達成される普及の度合いであり、この普及率を超えるとその製品・サービスは急速に広まっていくとされています。クリティカル・マスを確保するためには、例えば「初期採用者(イノベーター、アーリーアダプター)を確実に獲得する」「初期段階では利益を度外視してでも戦略的な価格設定・宣伝を行う」というような様々なやり方がみられますが、重要なのは、このような先行投資により、絶対に主催者側がこのゲームから降りないという誰もが信じられるコミットメントを示すことにです。企業内においては、経営層の「何が何でも降りない」という断固たる姿勢が非常に重要になるわけです。

絶対多数の社員たちが、新しい変化を受け入れるためには、まずは全体最適化というナッシュ均衡が存在するという知識を共有する必要があります。つまり、期待値がXより上となること。次に、そこで協力していくことが合理的だという期待感が共有されることです。ただ、より本質的な問題はこのうちの後者であり、派手なローンチイベントや社内報で宣伝を打っても、社員にからみて「うちの会社には無理」というように期待感が共有されなければ変化は期待できない。逆に後者が成りたてば、他部門を出し抜いて自分たちの部門を成功させようとする者も自ずと出てきます。

最も困難なのは、これまでの不合理な暗黙のルールを清算して、これ以上悪い均衡にとどまっていても損するという状況を作りだしていくことだと思います。その際、全員から共感を得ようとする必要はないですが、逆にいくら素晴らしい変化であっても閾値を超えない限り普及は望めない。イノベータ―やアーリーアダプターが信用されない状態でいくら普及活動を行っても、組織はすぐ悪い均衡(A)に戻ってしまうので、この場合、期待効果が出現するポイントまで一気にリソースを投入していくことが成功の鍵になります。

※下線部に対して成功している企業は導入準備段階で戦略的な期待値コントロールをしている。