Office 365 でコラボレーションできない理由

これまでSharePointやExchangeなどのバージョンアップを行なうには、その都度そこにかかる費用から、「何故バージョンアップするのか」「それを利用する価値はどこにあるのか」という熟議の機会が設けられ会社としての意思決定がありました。

しかし、実質的にバージョンのないOffice 365のようなクラウドサービスでは、面倒な議論をせずとも次々と新しい機能が使えるようになった為、それがかえって社内で熟議の機会を失わせ、戦略策定とコミットメントが曖昧なままに放置されてしまうということがあります。

熱心な担当者が、いくら必要性を説いても、上からは「費用がかからないのであれば、適当に試してみてよ」と既読スルー状態で話し合いの対象に上らないという話をよくききます。

WordやExcelの話であれば、個人の裁量に任せられるものですが、会社全体で機能させなければならないコラボレーションの機能は、全員で使わないと効果が出ないのでルールや作法も含めたコミットメントが不可欠です。

導入当初に定義されなかった機能が、いつになっても使われない理由はこうした背景がひとつにあげられます。しかし、ここで見落とされているのは、クラウドサービスでは確かにバージョンアップに費用はかかりませんが、それを利用しないことによる機会費用の大きさではないでしょうか。

クラウドを用いた ワークスタイル改革 を行うことにより、50%近い成長を遂げた会社がありますが、これが半分の成長で止まってしまうということは、金額的には数千億を支払ったことになるわけです。これは余りにもったいない話です。

面倒な議論をさけコストを極大化するのも一つの選択になりますが、メリットと見えないコストも併記して選択を問うべきだと思います。クラウド時代では、「何を改革しなくてはならないのか」というマインドセット設定や、問題そのものを見極め整理する能力含めて、「改革」をしていかなければならない。そうした新しいチャレンジが必要になると思います。

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エンタープライズソーシャルの誤解

グローバル化によってもっとも成功するのはユダヤ人や中国人だと言われます。例えば元服の儀式にネットワークメンバーが大挙集まって、「前田くん、君はこれから何になりたいのかな? 法律家ならこのオジサン、医者ならこのオバサン、実業家なら・・・」と繋いでいきます。こうした習慣が全く存在しない人々が、丸腰の個人でグローバル化した経済ゲームを戦っても勝てません。つまりネットワークが重要です。

Wikipediaよれば、エンタープライズソーシャルネットワークは “Enterprise social networking focuses on the use of online social networks or social relations among people who share business interests and/or activities” と説明されていますが、ビジネスにおいて有効な人々の繋がりを、テクノロジにより広範囲に広げ、血縁関係のようなものがなくとも、いざと言う時に助けあえる相互扶助の関係を築きあげることが出来ればそれは強い力になります。もしあなたが海外でスタートアップを立ち上げようとするとき、どんな手助けが必要になるかということです。

よくソーシャルネットワークをこれまでの集権型組織との対立させた図式を見かけますが、市場ゲームを個人や個人主義に結び付けるのは誤りです。相互扶助の依り代となる中間集団を否定しないもうひとつの<システム>をいかに作るかが課題ではないでしょうか。

社内の改革が進まない3つの理由

なぜ社内の改革はなかなか進まないのでしょうか? 制度研究の言葉に、「制度的補完性」という言葉があります。長い歴史を持つ企業であればあるほど、多くの制度が非常に巧妙にからまっています。例えば「テレワークは多様な働き方を享受するものであり、災害対策時の事業継続を支援する。早急に導入するべき制度だ」という声があがったときに、「いや、テレワークは労務上の問題解決が必要で組合の承認も必要であり・・またそもそも会社の”情報”を家に持ち帰ってよいのかという問題解決も必要で、それには、この問題とあの問題の解決も必要で・・・」ということになり、なにかの制度を変えるためには別の問題がクローズアップされるというふうに堂々巡りをすることになるのです。

非常に複雑に絡み合った完成度の高いシステムでは、制度を変えようと思っても補完的なので、連鎖的にそれに関連する全部の制度を変えなければみんなが納得しないわけです。故に、最初に変えようと思ったひとつのことすら変えられないことになってしまいます。ワークスタイル改革やソーシャルシフトなど、いろいろな改革の為の議論が続いていますが、結局問題の大本には切り込めていません。それは、この補完性の問題の為なのです。

もうひとつの変化の阻害要因として、「正統性」を巡る問題があります。組織の複雑化とともに人々の目的や価値観が多様化していくと、社員が互いの主張を理解できる蓋然性は自動的に減っていきます。なにを考えるにせよ条件付きとなり、いったい何を準拠して、何を批判すれば良いのかという規定を困難にします。その結果、何が「自明」か を巡る正当性が焦点化されていきます。つまり、みんなの合意が難しい制度の合意よりも、情報漏えい被害のような誰もが合意できる問題が、感情の動因のフックとなり、その結果、実行に移される制度設計は、「USBメモリ禁止」というようなリスク回避にかかわる仕組みだけが増えていくというものです。社会が不透明になるほど、「人々のニーズに応えること」と「システムを維持すること」とが乖離してしまうのです。

3つ目に、経済学でいう「複数均衡」があります。例えば、現在それなりの利益を上げている事業部門があるとします。よその部門もそれなりの利益を上げています。そこに新しいビジネスの話が舞い込んできました。しかし、そのビジネスをこなすためには他の部門の協力が不可欠であり、自分たちだけで進めようとすると利益はゼロになってしまいます。その際どういうことが起こるでしょうか。あらかじめ協力的な他部門が多く存在することがわかっているのであれば、多少苦労してもやってみようという話になります。しかし誰も興味を示さないだろうと思うのであれば、わざわざ重い腰を上げずに従来の仕事を粛々とこなしていたほうがよいということになるのです。この場合ここから逸脱するインセンティブはありません。多くのステークホルダーが存在するコラボレーションに置いては、すべてのメンバーの利得関数が同じ向きになっていることは稀であり利害が相反します。つまり、このようなことから実際には好ましい(パレート優越的な)状態も均衡として実現することが可能なのに、「好ましくない」均衡にとらわれている状態が続くのです。

これらの問題は社内に新たなテクノロジーを取り入れる際にも同じことが起こります。従来型の延長線上にある機能改良というケースにおいては、少ない調整で話が進みますが、大掛かりな変更や抜本的な見直しという話になると、とたんに話がややこしいものになるのです。これは上記に挙げた補完性の問題や、正統性の問題、消極的な均衡の問題が多大に関係してくる話になります。

ここにあげたような問題は、これまでも至る所で発生しているはずですが、以前はそれが顕在化しにくいものになっていたと思います。以前はいまようにグローバル化ということになっていませんでしたし、日本の経済そのものに大きな成長のポテンシャルがあったので、少々の問題事は経済のパイが大きくなる中ですべて利益調整して解決されていったので、制度の欠陥は顕在化しなかったということがありました。しかしその結果、改革が遅れ、制度は複雑化し、局所最適と組織のサイロ化ということになり、現在のように何をするにせよ身動きが取れないという状況になってしまったことが言えるではないでしょうか。

では、どのように改革を行っていけばよいのでしょうか。かつてアルバート・ハーシュマンが、変化をもたらす力として「声」と「出口」という2つの概念を用いて説明したのですが、ひとつは、変化を求めて「今の制度は間違っている」と「声」をあげていくこと。もうひとつが、それでも変化しないなら椅子を蹴って出ていって二度と戻ってこないということです。これでいくと日本の場合「出口」というオプションは今のところありません。それは終身雇用という若いころの低賃金が、年功によって大きくバックされるような仕組みにおいては「出口」へのインセンティブが働かないからです。

となると改革を進める為にはやはり「声」しかないのですが、組織依存的な習慣は「べき論」だけでは変わることがなかなか難しいのです。複数均衡における「損して得を取る」という合理的な選択に舵を取ることが出来ないジレンマからの逸脱に必要なのは、合理的な「べき論」ではなく、人々の感情の動因を分析する新しい科学であり、共感のコミュニケーションということになってくるのでしょう。

グローバル化は、あらゆる制度設計を困難にしました。それは計画を立てても状況は変わるからです。しかし、それに対応できるスピード感を持った企業や、中国のように何もかもゼロスタートで、補完性の問題や、正統性の問題、複数均衡の問題といった諸問題を免除され成長できる企業を相手に戦わなければならない状況であれば、それを上回るコミュニケーションによる迅速な意思決定が必要になってくるはずです。如何に戦略的にコラボレーションしていくのかというのが今後も変わらずに課題となるでしょう。その際、今いうようなソーシャルネットワークを上手く活用できる企業と、内々で通じる言葉で話しつづける企業においては、後々どのような差が生まれるかということは「自明」といえるのではないでしょうか?