Office 365 でコラボレーションできない理由

これまでSharePointやExchangeなどのバージョンアップを行なうには、その都度そこにかかる費用から、「何故バージョンアップするのか」「それを利用する価値はどこにあるのか」という熟議の機会が設けられ会社としての意思決定がありました。

しかし、実質的にバージョンのないOffice 365のようなクラウドサービスでは、面倒な議論をせずとも次々と新しい機能が使えるようになった為、それがかえって社内で熟議の機会を失わせ、戦略策定とコミットメントが曖昧なままに放置されてしまうということがあります。

熱心な担当者が、いくら必要性を説いても、上からは「費用がかからないのであれば、適当に試してみてよ」と既読スルー状態で話し合いの対象に上らないという話をよくききます。

WordやExcelの話であれば、個人の裁量に任せられるものですが、会社全体で機能させなければならないコラボレーションの機能は、全員で使わないと効果が出ないのでルールや作法も含めたコミットメントが不可欠です。

導入当初に定義されなかった機能が、いつになっても使われない理由はこうした背景がひとつにあげられます。しかし、ここで見落とされているのは、クラウドサービスでは確かにバージョンアップに費用はかかりませんが、それを利用しないことによる機会費用の大きさではないでしょうか。

クラウドを用いた ワークスタイル改革 を行うことにより、50%近い成長を遂げた会社がありますが、これが半分の成長で止まってしまうということは、金額的には数千億を支払ったことになるわけです。これは余りにもったいない話です。

面倒な議論をさけコストを極大化するのも一つの選択になりますが、メリットと見えないコストも併記して選択を問うべきだと思います。クラウド時代では、「何を改革しなくてはならないのか」というマインドセット設定や、問題そのものを見極め整理する能力含めて、「改革」をしていかなければならない。そうした新しいチャレンジが必要になると思います。

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コミュニケーションデザインの不可能性

かつて、歴史の中心的な視座にあったのが <計画>という概念でした。建築で言えば <計画>は都市においてのゾーニングやコントロールのシステムであり、ここの場所は公園で、ここは住宅地でここは集会場で、周りにはコミュニティが出来上がってというような仕分けがなされました。しかし、実際に計画は上手くいくものではありませんでした。なぜなら少数の建築家が人々の行動パターンを全て把握し、事前に理性的に統御することなど到底出来なかったからです。結果、子供たちの憩いの場であるはずの公園はイジメの現場となりかわり、ニュータウンをつくるとそこは少年犯罪の温床になるなど、経済学者で言えば「意図せざる結果」と呼ぶようなことが数々起こりました。

建築家 クリストファー・アレグザンダーは「都市はツリーではない」という論文の中で、都市は自然成長的に発展するものであり、設計された都市が必然的に失敗することを数学的に証明してみせました。それは建築家がどのように多様性を目指して設計しても、結局は<計画>にしかならないということであり、設計者の認識能力、予測不可能性の限界を鋭く指摘したものでした。つまり、一部のアーキテクトが都市のもつダイナミズムをツリー構造に回収しようという試みは、例外なく人々の多様性や自由を抑圧することになり、予想を超える問題を後に残すというものです。

コミュニケーションのプラットフォームを考える際においても、アーキテクトは広場を作って多様な交流をもたせたがりますが、実際はそう簡単にはいきません。こうした不可能性の問題があるわけです。

※図1

ITの世界で、ウォータフォールと呼ばれる最初に完成した状態を予想して作られる設計手法がありますが、これは最初に最終形をきっちり設計し、それに向かって一目散に開発を進めるやり方です。それは、開発が終了したときが即ち「計画」の終了を意味します。

しかしそのような計画において「終わりよければ全てよし」とはいうものの、「どこが始まり」で、「どこで終わる」のでしょうか、コミュニケーションは常に既に流れ続けています。また「よし」とは誰にとっての「よし」なのか、その意味でエンタープライズソーシャルは、設計者の恣意的な仕分けを前提になされる「計画」との相性がよくありません。いわば永遠のベータ版といえるコミュニケーションプラットフォームに対して、求められるアーキテクトの役割はこれまでと異なると言えます。

では、「その上で何をすべきか」ということだと思います。そこで、素朴に全体性の把握が出来ていると信じるアーキテクトと、そうでないことを自覚した上で設計という行為に携われるアーキテクトで、どちらでセンスがあると言えるのでしょうか。それは組織のもつダイナミズムを決定的に変えていくことになると思います。

「コミュニケーションの活性化」というオーダーに対し、すぐに新しいツールの話を持ち出し、こんな機能やあんな機能を取り上げる人々がいます。それ自体は悪い行為であるとは思いません。しかし前提の補完性の考察がスキップされています。相互扶助に関わる仕組みはどうなっているのか、人事制度はどうなっているのか、企業文化はどういったものなのか。そうした問題を永続的にサポートするのかしないのか? つまりこうしたスペックのハコをつくりますという事の以前に前提があるだろうという事です。社員のどのようなコミュニケーションをサポートし、どのような触媒になろうとするのか?そうしたことをスキップしてしまおうとする態度があるならば、それこそ問題として捉えなおすべきではないでしょうか。

※1ツリーとセミラティス (左が自然成長的に出来上がったダイナミックな社会【セミラティス】右が人工的に作られたよそよそしい社会【ツリー】)

先日のパネルディスカッションでの自分の発言

・ソーシャルネットワークの利用が世界のメールの利用を上回り3年が経過した。メールがこれまで情報を瞬時に送ることのできる画期的なツールであったとすると、 ソーシャルメディアに求められるのは、関係性の構築であったり、知識のネットワーク化であったり・・・と様々なグラデーション。これまでの「情報伝達の効率化」ということとは別の価値が求められている。

・iPhoneの登場以降くらいから、特に「イノベーション」という言葉が世界中でインフレ気味に使われはじめ、企業存続には、「多様性が必要」「インフォーマルなコミュニケーションも重要」といったように古くからの議論が再び強調されるようになった。予測が不可能な社会に対応していくためには色々なアンテナを張っていることが求められる。

・MITメディアラボの伊藤穣一氏は、「何かを枠組みに収めるのではなく、収まりきらないもの同士をコネクトするのが仕事」と自らの役割をこのように表現している。日本で言えば高度成長期という登り坂を上りきった現在、これからの価値創造のためには「仕事の進め方」や「知識の活用」の方法を変化が求められるという示唆。

・労働者は、決してコマンドを実行し続けるマシンではない、YammerのAdam Pisoniが述べるZARAのようなエンパワーメントと組織のネットワーク化の事例は好例。これまでルーティンだった領域にたいしても、個性と知識の活用法を取り入れ、やる気と創造性と高めていくことでよい個人・会社・顧客のハピネスが生まれてくる。

・それそろ「Why Social」という段階から「How Social」の実践を考えていくべき。

・何かに対して「任せっきりで後から批判する」というところから「みんなで考えること」へのシフトが大切。 それを実現するための手法が、ブレインストーミング・ワークショップ・コミュニティといった対話。そうした経験のなかで色々な発見がおこってくる。

・多様化した時代で、そうした新しい発想が求められるようになると、権威になんでも従う人材よりも、「それはちょっと違うんじゃないの?」って言える人材の方が重要になってくる。

・混沌とした時代に強いリーダーを求めてしまうことは珍しい事ではないけれど、ジョブズのような無謀なトップダウンがなんど会社を潰しかけただろうか。いい面ばかりに目を向けてしまうことを「生存バイアス」と呼び、歴史的にみればそのような独裁にはメリットより圧倒的にデメリットの方が高い。ひとりのリーダーが何とかしてくれるという幻想は捨て自らリーダーに。

・組織に強いリーダーは必要ない。厳密に言えば強いリーダーはいてもよいが任せっきりでは上手くいかない。むしろ良いリーダーが自然に発生するようなフォロワーを育てていくことが大切。

・従来型の上からの教育(Education)ではなく、自らの興味によって喚起される学び(Learning)が必要。

・メディアの存在意義は正しい情報を伝えるという事以外にも、多様な情報から得られる知的興奮からなる思考の場所であるということ。そうした場所作っていく。

労働装備率と多様性

先日、あるイベントで「企業に多様性は必要か?」という話のなかで、坪田知己さんとの対話でこのような話が出てきました。

企業には「労働装備率」という「有形固定資産額」を「従業員数」で割って定義されるモノサシがあります。たとえば製造業の場合、有形固定資産とは、工場の建物や機械設備などが大きな割合を占めていますが、この指標は、労働者一人あたり、どれほど機械化が進んでいるかを大まかに示すものになっています。つまり、このパーセンテージがおおきくなればなるほど、企業の中で仕事が機械中心的に行われており、極端にいえばそれらの機械を安定・安全に稼働させるために労働者は存在しているので、そこでは計画通りのオペレーションこそが重要で、勝手な判断は事故の元ということになります。

ちなみに、日本で最もこの「労働装備率」が高いのは、JR東海だそうで社員1人当たり1億6000万程の設備を装備しており、楽天などは100万~200万だそうです。この数字が高い企業は、設備を維持するために労働者数が相対的に高いので、いまいわれる「多様性」ですとか「自律分散」といった話はリスクにしかならないケースがあります。あくまで一つの例になりますが、様々な事業内容があるなか新しい戦略を立てる際には慎重に考えなくてはならないわけです。

【Yammer】 Nationwide Insuranceの事例からみる成功のヒント

米Nationwide Insuranceでは、業務に必要なドキュメントを発見する、 特定の領域の専門家 を探索するという、業務問題の解決における重要なプロセスからペインを取り除くためエンタープライズソーシャルネットワーク (Yammer)を導入しました 。同社のCIOグレック・モラン氏は、Yammerは「我々のコラボレーションの生態系(エコシステム)の”核”」であると評価し、既存のSharePointとYammerを上手く統合することにより、彼らは知識管理とコラボレーション改善をゴールに達成しました。なぜYammerが成功したのでしょうか? その理由のひとつは、LinkedInとFacebookを模したそのインターフェースから生じています。今日世界では50億以上の人々がソーシャルテクノロジーを利用し、新世紀世代が職場を移入し続けており、既存のコラボレーションツールからエンタープライズソーシャルネットワークへのシフト(或いは共存)は自然なものとして捉えることができたからといいます。

しかし、ソーシャルを通じて組織を改善や目標を達成するためには、リーダーシップやビジョンの再定義が必要になります。ガートナーの最近のレポートでは、「ソーシャルビジネスの取り組みの80パーセントは、意図した成果を達成できない」と述べており、その理由に対してCarol Rozwell(ガートナーの副社長)は、「企業でのESNの取り組みは、これまでのテクノロジーの展開とは全く異なることを認識する必要がある」と述べ、テクノロジーに対する過度な期待 (誤解) と社員のリーダーシップおよびリレーションシップに関する不十分な見識についての問題を強調しています。 あらゆる企業のイニシアチブと同様に、ソーシャルビジネスに向かって進行に対しても、重大な戦略的思考を必要とします。

これまで、いくつかのエンタープライズソーシャルの展開に関わってきた経験する中、多くの企業のエグゼクティブは、ここに課題に挙げたような、リーダーシップやマネジメント(例えば人的リソースの活用、横の繋がりが大事)だというような共通の問題意識を抱えており、問題はトップにあるのではないことが多い。むしろ多くの場合、IT部門や導入推進および主幹しようとする部門レベルでの知識不足や導入計画に不足する起因することがわかってきました。決して”システムを導入するまでが我々の仕事” というように、種だけ巻いて水もやらないようなことでは社内のコラボレーション風土は決して育たないわけです。

下図はある企業においてエンタープライズソーシャル展開の際に用いた計画ですが、ここに記すようにテクノロジーに関わる問題解決のみではなく、多方面での問題を部門横断的に計画が立てられています。

また、エンタープライズソーシャルネットワークの実装からの投資利益率(ROI)への直接的なリターン測定に挑戦することは不可能ではありません。それはROI測定を計画当初から明確に実装の目標に定義することによって容易になり、そのいくつかの主要な目的を、生産性を向上や社員の士気を高めるためと定義することが出来きます。36,000人の労働力を持つ企業においても、社員間の相互作用の増加と情報の凝集を促進することが、企業向けソーシャルネットワークの導入により可能になる。エンタープライズソーシャル成功のヒントは、まずは図に示すような準備期に「我々は何処に向かうのか?」という目的を、組織をあげて定義していくことが最初の大切なステップになります。地図を広げ行先の確認作業を行ってください。

フューチャー・オブ・ワーク

集権的なハイアラーキー構造は、専門家の知識を集中させることにより、共通した課題を解決させる際に大きな威力を発揮する構造といわれますが、変化の激しい社会では全体像を知っている人は誰もいないという危険性が伴います。一方、分散的な構造は、選択の自由からなる柔軟性と創造力が強みとなりますが、効率性の面で指摘されるわけです。また、組織においてスケールメリットが重視されるときには集中化がそれを可能とし、柔軟性や創造性が重視されるときには分散化がそれを可能にします。

しかし、このような組織が集中化することの利点はこの10年でなくなったとMITのトーマス・W・マローンは著書の中で述べています。それは、テクノロジーの進化により情報伝達コストを抑えた分散化が可能になり、組織が大きいことによって得られるスケールメリットなどの利益と、モチベーションや柔軟性と言った、組織が小さいことによって得られる利益も同時に享受できるようになったからです。

また、マローンはそのような資源配分に関するコミュニケーションの優劣を 【市場 >民主制 >緩やかな階層組織 >集権化された階層組織】の順に4つのフレームで比較しています。そこでは、取引にかかるコストが低く分散的な意思決定が必要の場合は〈市場〉を選択するのが可能で、それが向かなければ民主制で・・・と言う具合に、どんなリソースがいま必要かという探索コストや、実際に契約や交渉に関わる煩雑さをみて選択を行っているわけです。つまり〈市場〉も〈民主制〉もひとつの意思決定ツールとして捉えているわけです。たとえば、昨今試みが見られるような〈オープン・イノベーション〉といわれる取り組みも、意思決定を外部構造〈市場〉に求めるのか、内部構造〈緩やかな階層組織〉に求めるのかという資源配分の話です。

マローンに言わせれば、「集権と分権」「市場とコミュニティ」「外発的と内発的なるもの」を対立させる議論にはもはや意味がなく、そもそも対立の軸すら存在しないわけです。それらは所与の前提や目的達成の制約手段に過ぎないということです。それにより主体の目的意識と組織の問題は、目的に応じた徹底した議論が必要になってきます。個人の不全感の原因を組織や制度に求めるのは生産的でないだけでなく、別水準の問題を混同したかたちの議論を進めても双方になんの改善ももたらさないわけです。

うまいパスを出せるチームは強い ソーシャル時代の新しい働き方

岡田斗志夫氏と内田樹氏の「評価と贈与の経済学」という本のなかの対話にて、お金を回していくってことはどういうことか、と言うことで以下のように述べていました。

「あっちからパスが来たら、次の人にパスする、そうするとまた次のパスが来る。そういうふうに流れているんですよ。パス出さないで持っていると、次のパスが来ない。来たらすぐにワンタッチでパスを出すようなプレイヤーのところに選択的にパスが集まる。そういうものなんですよ。」

ビジネスにおいても。情報を、パっと回してあげることが大事で、情報をストックさせているだけでなくしっかりフローさせるってことがとても重要です。

もったいぶって足元に留めておいても得点は入らない。なるべく早く、なるべく必要なひとにパっと届けてあげなければならない。すると、あの人にパスをするとボールがよく通るってことで、そういうところには自然によくパスが集まってくる。スペインサッカーの強さはそういうパス回しがとても卓越しているということでしょうか。

上図は、二つのパス回しについて示していますが、これらの図はどちらが良いと判断するものではなく、むしろ必要な時に色々な種類の方法で、必要な人にパスできているか?という対応力の問題です。

サッカーでもなんでも、いつも同じコースにパスをしていると、”それは既に読まれてる”ってことになったり、いつもこの人にパスをだすと「インターセプトされる」というようにいつも同じやり方だとダメなので、状況に合わせてさまざまな戦い方やパス回しが出来るチームが強いということになるわけです。

ビジネスでの戦い方は大きく変わりました。例えるならば20世紀は野球型の戦い方をしていた時代。各自プレイヤーには決められた「役割」とか「マニュアル」があって、自分の打順や出番も決まっていて、守備をしていてもそれは僕の守備範囲じゃないっていうことが言えた時代です。また、実際みんなそういうルールで戦っていたので、そのことについて誰も疑問に思わなかったし、ゲームも問題なく回っていました。

しかし21世紀にはいって、グローバル化により、ゲームのルールが変わってしまったことにより、以前のように打順を待っているような戦い方ではやっていけないってことになった。今は野球的なものからサッカー的な戦い方への変化の過渡期にあるといっていいと思います。

もちろん、サッカーの場合も「役割」とか「マニュアル」も存在しますが、基本的に試合中は選手自身の判断となるので野球に比べれば監督の影響力などもずっと小さいものです。サッカーの場合は試合が始まってしまったら、基本的にはプレイヤー自身の判断によって進められます。その意味で分権的であり、個々の主体性とか自律性が強調されています。

しかし、いままで打順や守備範囲が固定されていた選手たちに、「今日から突如ゲームのルールが変わったこれからは主体性をもって戦ってください」と伝えても選手たちは主体性をもって臨機応変に戦う方法はしらない。だからこそ、そのようなゲームで戦う場合では、あらかじめ色々な戦術を明確し、組織力を高めておく必要があるのです。

訓練が終え、選手たちが状況に合わせて多彩なパス回しができるようになったり、阿吽の呼吸でゴールを目指せたり、選手たちがまるで一つの生き物のように機能することが出来たら、それはきっと、野球的な戦い方をしている人に比べ「俺たちは負ける気がしない」ということになるのではないでしょうか。

ルール システム 戦い方の
柔軟性
勝利に与える影響度 試合中
監督の影響度
野球 ターン制 統制型 低い 個々の実力の総体 高い
サッカー リアルタイム 自律型 高い 個々の実力と組織力 低い